街に彩を添えるテント 川代テント工業

◾️御社の沿革を教えてください。

 弊社は、昭和41年に父が創業しました。太良出身で元々料理人志望だった父ですが、ものづくりが好きで、結婚を機に母の実家があった佐賀市に居住地を移し、夫婦で「川代テント商会」を興したのが始まりです。自宅と工場が一緒で、物心ついたときから夜遅くまで両親が仕事をしている姿を見てきました。そのなかで育ったので、自然と私も後を継ぐものだと思っていました。トントントンと工具を使う音や、カタカタカタというミシンの音は、子守歌みたいなものでした。高校を卒業した後は大阪のテント会社に入社し、2年間修行させてもらい、20歳の時に佐賀に戻り、川代テントに入りました。

有限会社川代テント工業
代表取締役 川代勇一さん

◾️テントと言えば、運動会や公民館のテントのイメージがありますが…

 そうですよね!あの形はテントの基本形といえるかもしれませんね。テントの素材を使ったものは他にもあるんです。創業当時は高度経済成長期のさなかで、会社のあるこの通りや周辺でも魚屋さんや八百屋さん、美容室、酒屋さんなど店舗がどんどん増えていった時代です。それに伴い、店の軒先にテントを取り付けて店名を入れるといった仕事がどんどん舞い込んでいたそうです。父と共に、会社を経営していましたが、私が26歳の時に母が、そして、38歳の時に父が他界し、私が二代目となりました。

◾️二代目になられて、大切にしてきたことは何ですか?

 父は根っからの職人肌で、確かな腕を持っていました。弊社はその「技術力」でお客様から信頼を得、ご用命をいただいてきました。父の代から受け継いだ技術力により磨きをかけ、努力を怠らず、お客様や時代のニーズに順応し新しいことに挑戦していきたいと思っています。そして、その機会を与えていただけるご縁に感謝を忘れず、次の世代へと繋いでいくことを念頭に置いています。毎日、両親の仏壇に手を合わせて会社に行き、また、信頼を損なわないよう業務にあたってくれているスタッフにも感謝しています。

一級技能士によるテント作業風景。

◾️私たちの日々の暮らしの中にもテントがたくさんあるのですね?

 はい、そうなんですよ。運動会でよく見るようなテントだけでなく、現在開幕中の肥前さが幕末維新博覧会の会場やステージ、イベント会場で見かける大きなミランバくん、イベント用の雨や日差しをしのぐ大きなテント設計など、テント素材を活かしたものが生まれています。お客様の課題を解決するために、工場の大きな間仕切りをつくったり、食品工場の防虫用のカーテン、メッシュ素材のテント生地で日よけ用の屋根を設営するなど、テントの加工技術が進み、使用される場所や用途が増え、活用の幅は広がっていくばかりです。これまで培ってきた技術を活かし、デザイン力や対応力をプラスして地域やお客様に喜んでいただける企業でありたいと思っています。

◾️創業から50年。町のいたるところで見かけるテントの魅力はなんでしょう?

 バシッとした建物だけでは堅く見えがちな場所にテントがプラスされると、ちょっとしたアクセントになり、ソフトな印象を与えます。玄関や窓に取り付けると、雨よけや日よけにもなります。また、日光が直接入るのを防ぐので、暖房、冷房の効きもよくなるんですよ。また、実際に建物を建てるより納期が短く安価で設営できるので、イベントにはとても有効です。テントは人が集まる場所です。そして、人の笑顔が見える場所でもあります。テントは、人々の幸せの場所をつくってくれているのではないでしょうか…。

◾️経営者でもあり、営業の最前線として屋台骨を支えていらっしゃいますが、オフの日は何をされていますか?

 実は、休みというのはほとんどなくて…。しいていえば、イベント会場の設営を担当した現場に家族を連れていくことでしょうか。ハウステンボスや幕末維新博、サガテレビ春フェスとか。仕事の現場ですが、そこは、息子や孫たちに繋いでいく場でもあります。出張や旅に出ても、テントを見つけたらくまなく観察しています。観光より、テント!(笑)
 学生時代、バレー部に所属していたのですが、現在も地区のソフトバレーチームで活動しています。私の元気のもとは仕事とスポーツ、そして、癒やしてくれる2人の孫です。


社屋

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