醸しのまち鹿島でまちづくりを仕込む。

鹿島・肥前浜宿にゲストハウスオープン 食べる・遊ぶ・泊まる拠点に。

今や「鹿島ガタリンピック」や
「鹿島酒蔵ツーリズム」など、土地の利を活かした
企画で全国区でも知られるようになった「鹿島市」。
今年4月には浜町にゲストハウスもオープンし、
滞在型への取り組みも進んでいます。
ふるさと鹿島を盛り上げてきた一人であり、
ゲストハウスを運営する
「肥前浜宿まちづくり公社」の会長も務める
中村雄一郎さんに話をお伺いしました。

鹿島のまちづくりの原点は「足元を掘り起こせ」という言葉だった

中村さんは鹿島市浜生まれ、浜育ち。地元の高校を卒業して大学進学と就職で上京したのち、家業を継ぐためにUターンしました。その頃、中村さんの目に映る鹿島は、「浜の酒蔵通りは道が狭くて車も通りにくく不便」、「有明海の干潟は、海と言っても綺麗じゃない」といった住民目線で、その景色が当たり前になっていました。それでも、地元にいる者たちで鹿島のために何かできないかと、昭和59年に当時の若者有志でフォーラム鹿島を結成、昭和60年に「第1回鹿島ガタリンピック」を開催しました。
 「あの頃は県内全体で村おこしの機運が高まっていて、「日本ふるさと塾」を主宰する萩原茂裕さんの講演を聞き、『足元を掘り起こせ!』『日本地図を逆さに吊るせ、吊るすと先入観が消える』という言葉に、我々は衝撃を受けました。掘り起こす=culture(耕す)でしょ。カルチャーは文化でしょう。鹿島で足元を掘り起こしたら、そこには干潟があったんです。住んでいる者からしたら美しいとはいえない干潟が、宝物になったのです」。こうして始まったガタリンピックは、今や全国ネット のテレビ番組も中継や取材にくるほどの一大イベントになり、まちおこしは大成功を収めました。ガタリンピックをきっかけに、地域を掘り起こして宝にしていくことを学んだ中村さんが次に着目したのが慣れ親しんだ浜宿の酒蔵通りでした。浜宿は、江戸時代には多くの人が往来し、賑わいを見せていたそうで、「かつての賑わいを取り戻せたら」との思いから、空いていた酒蔵を会場にコンサートを開催しました。評判を受けて街並みを残すために努力を重ねた結果、平成18年には、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。


肥前浜駅そばにあるゲストハウスまるは、緑に包まれた木のぬくもり感じる古民家を再生。1階にはカフェが入っている。

鹿島に泊まって旅をする滞在型の観光モデルを実現

 そして2011年、大きな契機が訪れました。IWC(インターナショナルワインチャレンジ)で富久千代酒造の「鍋島大吟醸」がチャンピオンサケに! 「IWCの日本酒部門の創設に関わっていらした平出淑恵さんとのご縁があり、鹿島酒蔵ツーリズムのお話をいただき、スピーディに準備を進めていきました」。こうして実現したのが2012年春に開催された鹿島酒蔵ツーリズムでした。鹿島市内の酒蔵6蔵合同で蔵開きをし、地域と連携をとりながらまちの文化と歴史に触れるイベントは、第5回からはお隣嬉野市の酒蔵3蔵とも連携し、回を重ねるごとに成果を上げ、平成最後のツーリズムでは9万人を超える来場者を記録しました。着々とまちづくりが線で繋がる中で、まちに滞在してもらうための宿泊機能がないことが課題になり、空き家を改装してゲストハウスとして運営するためにまちづくり公社ができました。40年近くまちづくりに携わってきた中村さんの鹿島愛は、見事に花を咲かせています。「いやいや、皆のおかげです。鹿島を好きな方々の出資で会社も成り立っていますし、これから、着地型観光プログラムの受け皿、プログラムを模索していきたいです」。


肥前浜宿 酒蔵通りにあるゲストハウスあんど。1階にはそばと日本酒が楽しめる店があり2階が客室。酒蔵通りに眠っていた建造物に息を吹き込んでゲストハウスとして生まれ変わった。景観に馴染む白壁が良く映える。

〜中村雄一郎〜

肥前浜宿まちづくり公社会長・鹿島市観光協会会長。鹿島市出身。鹿島高校―日本大学を卒業後、家業を継ぐために帰佐。家業のかたわら、地元の有志でフォーラム鹿島を立ち上げ、鹿島ガタリンピックを実現させる。鹿島の魅力発信を続ける。鹿島酒蔵ツーリズムを仕掛けた一人でもある。
◆問合せ先◆肥前浜宿まちづくり公社
TEL0954-69-1555

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