Essey11 水辺の少年に帰ろう- 忘れてしまった匂い、イタチの最後っ屁。

藪の中から私を窺う顔 2018/4撮影
武雄市若木町にて

「イタチの最後っ屁」という言葉の語源的な意味を体感したことがある。まだ少年だったころ、登校途中の田んぼの溝からすごく嫌な強烈な匂いがする。覗き込むとイタチが罠に足を挟まれて逃げようともがいているところだった。鉄製の獣罠は小型でも頑丈で、挟まれてしまうとイタチにはどうにもできない。その罠に強烈な最後っ屁を吹きかけたのであろう。
その刺激臭は通学路まで漂っていた。やがて罠を仕掛けた猟師が回収に来て殺される運命が待っている。野生動物に興味のあった少年は、匂いを我慢しながらイタチのそばへ降りて行って眺めた。近づくと必死で足を外そうとする。恐怖で私を見る小さなつぶらな瞳が、見逃してくれと訴えているようだった。かわいそうと思えたが少年にはどうしてやることもできなかった。

クリークの土手を歩く後ろ姿 2019/1撮影
佐賀市本庄町にて

イタチ罠が仕掛けられるのは冬場だった。ふさふさとして美しい冬毛は襟巻などへの商品需要が高かったのだろう。罠のバネの力は、うっかり子供が挟まれると足に大怪我をするほどに強烈であった。冬場に水辺のそばを遊びまわるときには、獣罠に気を付けろと大人から注意を受けるほどであった。そして当時はイタチ罠に頻繁に獲物が捕まるほどに生息数も多かったようである。イタチは家の中にも侵入してきた。昔の農家は床下や壁の隙間から小動物が侵入しやすい構造だったからである。天井裏や大きな梁の上でネズミを追いかけて騒動するイタチの存在は珍しくもなかった。

川の中を逃げていくイタチ 2018/4撮影
武雄市若木町にて


大人になってカメラ散策を楽しむようになると、小川やクリークの土手を横切る姿や、田んぼ脇の道を向うからとことこと歩いてくる場面に出くわすことがある。カメラを向けると気づかれて逃げてしまい、なかなかシャッターチャンスを与えてはくれない。それでもイタチに出会うとなにか得したような気になるのである。イタチは年中動き回っているので、水辺を歩き回ると見かけるチャンスは意外に多い。しかし最後っ屁を嗅がされるほどまでに接近できるチャンスはない。
今ではイタチ罠を仕掛ける猟師の姿は全く見なくなった。私が少年期を卒業するころ、鳥獣保護法が施行されたからなのか、毛皮の商品価値が下がったからなのか、代わって見かけるのはイノシシの箱罠である。
これも許可を得ないと仕掛けられない。イタチ猟師がいなくなって、それとともに最後っ屁の匂いを嗅ぐ機会も消失した。それがどんな匂いだったのか、もう思い出せなくなった。


*西日本では繁殖力の強い外来種のチョウセンイタチが増え、古来種の二ホンイタチを駆逐しつつあるそうだ。紹介した写真がどちらなのか、私には判断が難しい。

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